コトノハ|編集と出版

コトノハメディア135 コトノハがわかる

アート推考1「頭で描いて感覚で止める。ジョナサン・ラスカー(Jonathan Lasker)」

 セザンヌが面白いのは、3次元に見えるイリュージョン表現=視覚の感覚と、物質的には結局は絵の具の重なり=頭で考える概念、がどちらも同じような強さで共存して見えるからです。「共存して見える」という事は、観る側の気分で双方を自由に行ったり来たり出来るという事です。そこにあるかように見えるりんごの美術テクニックを楽しみつつ、平面(=絵の具の層=壁)の質感も感じます。「自由に行ったり来たり出来る」という事は、観ていて飽きないて事です。「見飽きない」て事は、ただ単に壁に掛かって動かないはずの絵がいつまでも生き生きしてるて事です。絵は動かなくて、ただ単にそこにあるだけなのに、いつまでも生き生きとしているて事が面白いのです。じゃなければ、動かない絵は、画面が動いて視覚の刺激をし続ける映画や遊園地のアトラクションにとって換えられ、ただの退屈な物でしょう?

 セザンヌ以前に、一枚の平面(表面)を大いに意識している画家といえばジョット・ディ・ボンドーネでしょうか? ジョット(ジオット)を観ていると、力強い一枚の板(壁)を感じます。

 セザンヌ以降は、この平面性というのが強く意識されるようになりました。絵の平面をしげしげと眺めるて事は、表面の質感を感じるて事です。でも結局は絵の具の層なのですから、突き詰めていくと、どういう具合に絵の具が付いているかが問題になります。描き方が問題になってきます。絵(平面)の強さを強調するために、絵の具を塗った端のエッジをわざと立たせている(厚くしている)画家がいます。例えばニコラ・ド・スタールや山口長男、藤枝リュウジ、ジョナサン・ラスカーなどです。

 今回は、ジョナサン・ラスカー(Jonathan Lasker)を取り上げます。

《リンク:Jonathan Lasker – Galerie Thomas Schulte

 これを取り上げたのは、面白いから(僕が面白いと感じるから)です。「面白い」は「上手い」よりも重要で、絵はある程度の修練をすれば誰でも上手くなるので(本当はそんなに簡単ではありません、若気の至りでしたすみません)、結局「上手い」のは当たり前なのです(しかし最近は結局は、判ってるか判ってないか?が重要だなと思います)。

  作品を観てみましょう。絵というのは、ダ・ビンチであれ、絵の具の重なりであり、超絶技法のリアルデッサンにしても、鉛筆の線が集まった延長上の面の強弱のコントロールに過ぎないと考えれば、それを分解して、線と面の要素で絵を作っていったのがセザンヌ以降であり、現代的ですっきりします。

 一見していろいろな太さの線があります。ボールペンで描いた、紐が絡んだような線。これだけみればとても格好悪い? 格好悪いは、格好よくないだけにユニーク(面白い)です。ユニークてのは見飽きないて事です。見飽きないて事は、その絵の存在価値(興味)が長続きするて事です。絵の具の平塗りはエッジ部分が盛り上がってます。タテの盛り上がりはヨコの盛り上がりによって断絶していて(或いはその逆)、塗る順番があるようにも見えます。この順番があるようにも見える所が面白いのです。ここには多くの対比があります。曲線と直線。多くは線の集まりですが、太さや密度や色がいろいろ違います。それぞれの面積も違います。マーク・ロスコは「皆は、私の作品の色を話題にするけど、もっと大切なのは割合です」と言いました(maybe)。

 線と面、割合、色の対比効果の中で遊んでいるのを感じます。画面の部分が出たり入ったりして見飽きません。しかも一枚の板(壁)としてまとまっています。難しい技術は何処にもありませんが、十分に画面を理解していないとこのような面白いものはなかなか創れません。他の作品も観たいと思うのは私だけでしょうか?

 サンドイッチマンの富沢さんが「ちょっと何言ってるかわからないな?」尤もです。

《リンク:ジョナサン・ラスカー作品を観るためのYouTubeコンテンツ

大村タイシ

アーティスト。多摩美術大学卒業。『街の手帖 池上線』で表紙イラストを担当。

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