コトノハメディア135 コトノハがわかる

言葉と身体 第5回(最終回)

 今日の午前中最後の患者さんです。うーうーうーという音がきこえてきたので、もうすぐお昼になるのかな? 朝ごはんをしっかり食べてこなかったのかな? それとも治療が進んでいく中で気血が巡って、正常にお腹がすきだしているのかな? それとも自分のおなかの方からの音かな……とまで思いはじめた時には、うっうっうっといったテンポに速まっていっています……
「うっうっうっ?」
「うっうっうっ」
 うつ伏せの治療中なので、患者さんのいったいどこから響いてきている音かは分からなかったのです。
「うっうっうっ」
 もしかしたら、口の方からかもしれません。
「うっうっうっ」
「どうされましたか?」とためしにきいてみます。この治療院ではまだありませんが、発作のようなものが出てしまった可能性もなくはありません。「……大丈夫ですか?」
 ハリの方を一度止め、背骨の椎間を一つ一つ触診していた手の方も腰椎で止めます。
「うっうっうっ……すいません」という声の方は流暢です。ずっとそのような流暢な声でやりとりをしていたはずですが……「うっうっうっ」
 とまたすぐに戻ってしまいます。
「……うっうっうっ?」と再びきき返した所で、〝つ〟という音が一度二度きこえてきた気がします。「……つ?」
 あるいは促音の小さな〝っ〟がたまたま大きくきこえただけかもしれませんが、そうです……とまた流暢にここは返してきます。
「そうです、つ、です」
「……つ」
「う……と……つ」
「……うとつ……うつ」結局歴とした言葉の方を言わされたのは、わたしの方です。「……鬱」
 とおどろおどろしい漢字の字体も思い浮かんできます。
「病院でそう診断されたことがあって」
「……そう?」〝躁〟とも浮かんできてしまいましたが、すぐに問い直します。「……病院で?」
 〝病院〟という言葉ももしかしたらインパクトのある言葉なのかもしれません……
「精神的にいっぱいいっぱいになっていた時にびょ、病院にいって、びょ、病院でもいろいろな診療科を回されて、もっともっといっぱいいっぱいになっちゃって」
 病名というのはあきらかにインパクトのある言葉でしょう。
「あふれ出ちゃって……もっと悪化しちゃって」
 何故そのようなインパクトのある短いパンチのような言葉に、すでに弱りきっている患者さんを触れさせなくてはいけないのかが腑に落ちないこともありますが、そのような言葉の中に収めていくことで明快になる治療・投薬があるのでしょう。
「クスリもいっぱいいっぱいになっていって」
 そのように回していかないと、たくさんの人のたくさんの症状を診きれないということもあるのでしょう……
「便秘になったり、肝臓の数値も悪くなったり……」
 それでもそういった病名・疾患名に則った治療では治りきらないどころか、ますます悪化していく様子の患者さんも、この治療院、ひいてはハリ灸、東洋医学の世界には駆け込み寺のように逃げこんでくるのです。
「うっうっうっ」まさしくご自身の〝病名〟という言葉からも逃げてくるかのように……「うっうっ……すいません、やっぱ言いづらくて」
「……いえ、べつに言わなくて大丈夫ですよ」
 この国において鍼灸師という国家資格者には病名を付けて診断する権限が与えられていないこともありますが、少なくともわたし個人は権限の有無にかかわらず病名を付けることはありません。
「……大丈夫です」
 たとえばこの方の〝うつ〟であっても同じ病名とは言えないくらいピンからキリまでありますし、〝自律神経失調症〟や〝更年期障害〟や〝ガン〟といった病名でも然りです。
「……病名はそこまで必要じゃないですから」
 この方のように背骨じたいに圧して反応があるうつの人もいれば、反応のないうつの人もいる。
「……それより必要な情報がここにはあるので」
 通常は背骨じたいには反応の出ることが少ないのですが、出ているということは何かしら緊張が高ぶっていたり、疲れやすかったり、眠りが浅くなっていたり……というかみ砕いた散文調の言葉は言えますし、実際に言ったから、〝うつ〟のことを思い出させてしまったのかもしれませんが……
「……うつかどうかもわたしには分かりませんし」
 病名というインパクトにたじろぐ必要はありません……徹底的にインパクトのある言葉を散らしていけるという意味においての〝散文〟にできるのが、この東洋医学とも言えます。
「あっ、いたッ」
 もちろんこちらの医学の方が診立てが甘いということもありません。
「……こことこことここと、ここにも反応がありますね」
 むしろ病院側でまだ宣告されていない気づきを与えてしまうこともあれば
「……首・背中・腰の骨そのものの反応がおさまっていかないと」
 病名から逃げていく道すじを提示することもあるので、言葉と身体の関係はやっぱりなかなか難しいテーマであり、問題ではあると思います。
「おさまっていかないと?」
 ここにあるのは、頚椎と胸椎と腰椎にそれぞれ圧痛のポイントがあるという現実だけです。以上でも以下でもありません。
「……まぁおさめていきましょう」
 それぞれのポイントにハリをあてて余計な熱を外に逃がし、冷えて硬くなっているポイントにはお灸をすえて温めながらゆるめていく。
「……逃がして、ゆるめていきましょう」
 一本の道すじしかなかったかのような背骨のこわばりが少しゆるんで、全身が幅広の背骨のようにも映りだしてきます……
「……背骨のとなりの筋肉の方もなだらかにしていきましょう」
 ここには西も東もありません。
「……そして散らしていきましょう」
 あるいは南でも北でもいいかのように、快方へと向かっていく道のりそのものが拡がっていっているように感じられてきています……医学の方もきっと今後そのような道すじを辿っていくことになるのでしょう。
「あぁ、なんだかコリっていうより、中心がなくなってきた気がするぅ」
 わたしもその道すじを辿るように休憩時間をそのまま地続きで過ごして、なるべく患者さんを緊張させないようにこれから午後の開院に入っていきます。
「ふっふっふっ」
 午後最初の患者さんです。
「……ふっふっふっ……あぁ、べつに病名はわざわざ言わなくていいですよ」
「ふっ……」
「……言うことによってさらに体調を悪くしたら、元も子もないですから」
「元も子もない?」
「……ええ」
「なんですか、その言葉は?」
「……ことば……わたしの?」
「ふっふっふっていうのは、背中を触られているのが、ただくすぐったかったから、だけですけど」



松波太郎
小説家・臨床家。2008年「廃車」で文學界新人賞を受賞。2014年に『LIFE』で野間文芸新人賞を受賞。「よもぎ学園高等学校蹴球部」、「LIFE」、「ホモサピエンスの瞬間」で芥川賞候補となる。2019年より自身の治療院・豊泉堂を開設し、後進の育成と、サッカースクールのコーチも務める。



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