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コトノハメディア135 コトノハがわかる

丹波山村⇄大田区 小さな村で働き方を考える。

「働き方を変えたい」と東京から山梨県丹波山村へ移住して6年。
全国の小さな村の魅力を広めようと奮闘する
小村幸司さんの二拠点生活です。

 池上に移り住んでもう半年がたちました。東急東横線の学芸大と都立大の駅の間に25年ほど住み続けていたのですが、6年前に、「働き方や暮らし方を変えてみたい」と思い、山梨県丹波山村(たばやまむら)という村民わずか540人の村に移住しました。「働き方を変えてみたい」から始まったんですが、「村おこし」にとりつかれてしまい、今は、小さな村の仕事を受けて、東京で働いています。

 丹波山村は、多摩川源流にある小さな村で、「水」を巡る東京との関わりが強い村です。その関わりを取り戻すために、最もふさわしいと考えたのが多摩川の河口域である大田区でした。先に、住むアパートが池上に決まり、その後、オフィス兼ショップがJR蒲田駅の駅ビル「グランデュオ蒲田」に決まりました。

 自分でも、何をしに村へ行き、何のために、また都会で働くのか、当初の思いと行動にねじれが生じていますが、今は、人口の少ない全国7つの「小さな村」の活性化のために、東京に出向き、首都圏における相談窓口オフィスを、蒲田に構えたことになります。

 6年間の村暮らしはいろんなことを見つめなおす贅沢な時間だったかもしれません。総務省の制度ですが、丹波山村の「地域おこし協力隊」として、8時半に役場に行き5時15分に帰るという、ほぼ公務員として、働いていました。収入は社会人一年目を下回ることになりましたが、そんな仕事のリズムは初めてでしたし、休み方も暮らし方も変わりました。

 村に暮らしはじめて一番驚いたのは、村役場の職員が昼休みも自宅に帰って食事をすることです。つまり、朝昼夕と三食家族と一緒に食べることです。
「いやだー、そんなの」と、悲鳴をあげる方もいるでしょう。その気持ちもわかります。わからないではありませんが、そんなひと昔前の暮らしが日本にも残っているということです。さらに、入学式や卒業式など、学校行事には当たり前のように役場や会社から休みがもらえます。学校行事には地域の人が関わるのが当たり前。こんなことが「あたりまえ」に残っているんだなと。

 「小さな村」に、さらにとりつかれるようになったのは、同じような全国の小さな村を訪ねてみたいと、つい思ってしまったからです。北海道、東北、近畿、四国、中国、九州と、各地域で一番小さな村を訪ね歩くようになり、つい「こんな小さな村の魅力が都市の人たちにも伝わったら良いのにな。」なんて思ってしまいました。そんな小さな村の情報発信の取組みとして始めたのが、全国7つの一番小さな村が集う「小さな村g7サミット」です。伊勢志摩で開催された本家「G7サミット」の一週間前に初開催しました。

 丹波山村で開催した小文字の「g7サミット」のテーマは「移住」。「小さな村の存続のために積極的に都市からの移住を受け入れていく。」ことを7人の村長に共同宣言してもらいました。でも、今は、少し考え方が違います。「ムリして移住なんかしなくても良いんだよな。時々、人の交流があって、小さな村と都市が補完しあえれば。」6年間の村おこしの活動で辿り着いた今の考え方です。

 「小さな村」が、人が関わりたいと思う魅力的な村になるために必要なのはものは何か。考え続け、地方創生の先進地を訪れる中で見つけたのが、「寛容性」と「多様性」です。いろんな背景をもつ人たちが村に関わり出入りするようになれば、それが一番の魅力になるんだなと。見方を変えれば、だから東京に人は集まってきたんだなと。

 小さな村の存在理由は何か。日本のひと昔前の暮らしが残っていることだと思います。それは、日本の中の多様な暮らし方の「選択肢」として必要だと思っています。その上で、大切なのは「小さくても閉じない」こと。小さな村もそうですが、北欧の国もそうですし、日本もそうかと思います。多様な価値観の中で、都市で暮らす人、小さな村で暮らす人、民間や自治体や大学やNPO、いろんな背景の人たちと協働で、いろんなプロジェクトがやれたら面白いと思います。

 村おこしの活動をはじめて、最初は「小さな村を活性化したい。助けたい」なんて思いがあったんですが、途中でこれは違うなと。「助けられた」のは自分自身だと気づけたのです。東京での仕事がちょっとつまらなく感じてきて、一月休んで東南アジアをバックパッカー旅して、リフレッシュしたはずが、活性化されすぎて、元の仕事に戻れなくなって、何か違うステージを求めていたときに、見つけたのが「小さな村」でした。いわば、都市住民の課題を、「小さな村」という場を借りて、解決させてもらったんだなと。考えてみれば、小さな村より、課題を抱えているのは東京なんじゃないかと。働き始めた頃から満員電車で、ずっと満員電車で、コロナが起きても満員電車で。

 グランデュオ蒲田のギフトフロアにショップを構えるのは荷が重すぎる話ですが、これもグランデュオ蒲田(JR東日本商業開発)との協働事業として進めています。駅ビルも何か新しいものを求めていたんだと思います。「全国7つの一番小さな村」とグランデュオ蒲田が組んだというだけでも面白い。これは情報発信にもなると。

 丹波山村をはじめとする7つの小さな村のコトやモノを、大田区蒲田から首都圏に向けて情報発信して、あわよくば、都市部における課題の解決策を考え続けている人、企業でこれからの時代にあった新たなシーズ(ビジネスの種)を探し続けている人、そんな人たちのアンテナにひっかかって、何か小さな村とコラボや協働事業のアイディアを思いつく人が現れたらと。民間でも自治体でも大学でもNPOでも。小さな村から委託された仕事ですが、小さな村と首都圏の双方の課題解決につながるような、今までになかった協働事業が、なにか一つでも生まれたらと思います。

 いよいよ、何のために村へ移住し、池上で暮らし、蒲田で働き、東京で活動するのか。「働き方を変えたい」という6年前の思いと行動は、さらにねじれ続けています。自分のためでもあり、小さな村のためでもあり、日本のためでもあるような。2年後の将来も、まだ、ぼやっとしていますが。



小村幸司
小さな村g7東京オフィス&ショップ代表。
プロフォール:熊本生まれ。長崎大学経済学部卒。旧三菱銀行勤務を経てテレビディレクターに。
2020年4月、内閣府・地域活性化伝道師に選ばれる。

※本原稿は、5月下旬発売予定の「街の手帖リーディング(仮称)」に掲載予定です。


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