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ぼくはこう歩んできた〜クリエイター・バクザンの半生

黒湯で知られる大田区の「蒲田温泉」の音楽をはじめ、全国各地のさまざまな名所名物の音楽を発表し続けているバクザン。
音楽のみならず映画監督として『おまえら、ミュージシャンやめろ!』を2022年に公開。今年7月16日に俳優オーディションで起こる問題を提起した2作目の映画『おまえら、オーディションやめろ!』の公開試写(蒲田温泉にて開催)を控えているミュージシャン・クリエイターに、これまでの歩みを執筆いただきました。

高校生の時に友人から12弦ギターの細い方の弦を取っ払った「6弦ギター」を渡されたのがきっかけでした。
[コード弾き]という弾き方が簡単だというのでそこから始めました。C.G.Am.とアルファベットに沿った抑え方があるので左の指でそれらを抑えて、右手でストロークをして弾く。ただそれだけでも楽しくて毎日ただただ弾いていました。

いつものように部屋で弾いていると父が部屋に入ってきて「おまえチューニングめちゃくちゃだな」と言ってきました。
私はなんのことかわからず困惑していると「どれ、貸してみろ」と言いながら父が手慣れた手付きでギターの音を合わせ始めました。チューニングをした後、父は私の知らない洋楽の曲を触りだけ何曲か弾き始めました。

父は太っているし、仕事もなにをしているかわからず、かっこいいと思ったことは一度もないのですがその時ばかりはとてもかっこよく見えました。
その後高校の軽音楽部でバンドを組んで、Mr.ChildrenやB’zのコピーをして文化祭に出て、その文化祭のステージを見に来た他校の子と付き合ったり、音楽は私に青春の彩りを与えてくれました。

調子に乗った私はその後音楽の専門学校に進学するのですが、全国からやってくる数々のプレイヤーのレベルの高さに打ちのめされてすっかりやる気を無くしてしまいます。

卒業後、就職もできず、バイトばかりしている私に母親は「いつまでそんな生活をしているの」と言い続け、私もなにをしていいのかわからずただなんとなくライブハウスに出ては自分の人生を語るような歌を歌って過ごしていました。

25歳の頃のバクザン

知り合いを「客」として呼び続ける日々、だんだんと友達が減っていきました。お客さんが一人しかいないライブハウス。それにこのお客さんは自分が呼んだお客さんではない。いつもどおりに広い世界に向けて歌うように、歌う。虚しさを感じました。このままでいいのか?どうしたらいいんだ?自分の人生経験を歌にしていくのも、もうネタが尽きた。というかもう歌にする言葉がない。

大好きなお風呂に入りながら自問自答をしている時にふと「自分の好きなことを歌にしたらいいんじゃないか」と思いました。

子供の頃、母の実家の山形に行ったときに蔵王の硫黄温泉に好きでよく行っていました。腐敗したような卵の匂いと白濁した温泉。【温泉は山岳地帯にしかない】と思い込んでいた私。

蔵王硫黄温泉

ある日地元の銭湯を探していると「蒲田温泉 黒湯」の文字が飛び込んできました。

(温泉がこんな都会にあるわけが…)と思った私は蒲田温泉にいってみることにしました。

店の前につくとビカビカと光り輝く昭和レトロ感たっぷりの入場アーチ。温泉なのにまさかの銭湯価格。いざ浴場に入るとブラックコーヒーのように真っ黒い温泉がそこにありました。指を沈めればその先はもうなにも見えない。こんな温泉が都内にあったのか、と驚きました。

それから幾度となく、通った日々を思い浮かべていると、ふと口から
「〜〜〜♪蒲田温泉〜♪」
妙にしっくりきたような、フッと肩の力が抜けた感覚。…いやしかし、こんな歌をライブハウスで歌えるわけがない。もっと「人生とは!」「愛とは!」自分のことをしみじみ語る歌じゃないとウケないだろう。そう凝り固まった概念が邪魔をする。…でも、試しに作るだけ作ってみよう。

そうしてできた歌が「初代蒲田温泉」の歌。ワウペダルという機材をギターに噛ませてワンコードでラップのように蒲田温泉への思いと、蒲田温泉とはどういう場所か、ということをメッセージにしたら意外と反応がありました。

その熱意のまま夜の23時頃、「初代蒲田温泉」の歌が入ったデモテープを持って蒲田温泉に行って「担当の方はいますか?」と訪ねたところ二階の宴会場からパジャマ姿で明らかに眠そうな蒲田温泉のオーナーの奥さん、島雪江さん(以下ママ)が対応してくれました。

自信満々に「初代蒲田温泉」の歌をその場で聞いてもらったところママは「よくわからない。これじゃうちのお客さんにはウケない」と言われて、意気消沈してしまいました。

帰宅後になにがウケない要因だったんだと考えました。(蒲田温泉のお客さん層はお年寄りが多い・・・あの世代は演歌か歌謡曲調を好むはず・・・)合うかどうかわからないけど、それらの要素を取り入れて作ってみよう。そうして出来た「歌謡曲調の蒲田温泉」の歌を持って行って聞いていただきました。ママからも「これならいいかも」と言っていただきました。

その帰り道、私は今まで歌を作って感じたことのない感情を持ちました。自分の歌で喜んでくれる人がいる、自分を必要としてくれている。しかも自分が好きな場所で、そうなっている。

ライブハウスで自分の思いを一方的にぶつけていた自分を恥じました。お金を払っている人が、なぜ、演者の一方的な思いを金払って聞かなきゃならないのか、そうしていた自分に気づいたのです。

ーーつづく
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