自宅にギャラリーをつくる|「空豆」のこと
坂元暁美

「空豆」は私と夫の坂元宏規が大田区・洗足池近くの自宅内に開設したギャラリーです。
住居とギャラリースペースが一体となった建物を設計してここに引越してきたのが2018年。その後、初めて展覧会を企画して一般に公開したのが2022年5月です。それから3年間、年に1回または2回のペースで、これまで4本の展覧会を開催してきました。

100%自分のやりたい展覧会を
私は1988年に彫刻の森美術館の学芸員になり、その後1997年に上野の森美術館に移ってかれこれ35年以上、美術―おもに近現代美術―と美術館の仕事に携わってきました。
作品や作家について調べたり、展覧会をつくったりという学芸員の仕事はいろいろな発見や出会いがあっておもしろく、現代美術の展覧会であれば、若手から巨匠まで、現在活躍しているアーティストとじかに接することもでき、だから長く続けてきたのだと思います。
一方で、自分のやりたい企画を展覧会として実現できる機会はそう多くありません。それどころか美術館独自の企画展を開催して発信する機会も限られていて、せっかくこんなに素晴らしいアーティストが周りにたくさんいて、自分が勤めている美術館という器もあるのにと、大きなフラストレーションをずっと感じていました。
そうした現状への反発があり、前々から、小さくても100%自分の好きなことのできるスペースを持ちたいと考えていたのです。
もうひとつ、この場所にギャラリーをつくるに至ったきっかけには、自分が日々生活し、活動する便を良くしたいという単純な希望もありました。ここへ引越す前は30年近く横浜市に住んでいたのですが、出勤日はもちろん休日も都内やその先の美術館やアートスペースに出かけることが多く、このあと歳を重ねてもこういうふうに美術を見続けたいと考えると、もっと都心に近いところに住みたいと、これも以前から思っていました。
なのでギャラリー計画が現実味を帯びてきた当初は、横浜の自宅はそのままにして東京のどこかにギャラリーと最小限の居住用スペースを借りることも考えたのですが、しかしそれでは自由が利かず、経済的にも続かないと思い、みずからスペースを所有することを決め、自宅兼ギャラリーの設計・建築と引越し計画が2014年ころ始まりました。

土地探しと設計を依頼
土地探しと建物設計は、前に横浜に家を建てた時から20年来のお付き合いがある不動産屋さんと建築士にお願いしました。
夫の勤務先が神奈川県内であるため、横浜と東京都心の間で双方の通勤の便と、かつギャラリーとして人が来やすい場所を考えて探すうちに、大田区内の東急線沿線でいくつか候補地が絞られてきて現在の場所に決まりました。私のほうは横浜に引っ越すさらに前の6年間は大田区鵜の木に住んでいたので、この地域、とくに旧目蒲線や池上線沿線の雰囲気に馴染みがあって落ち着いたこともあります。でも、いちばんの決め手となったのは洗足池に近いことでした。
洗足池という、おそらく23区内でも珍しい大きな池がぽっかりとあることで、ほかの住宅地とは違う、のどかで祝祭的な雰囲気が一帯に漂っていて、ギャラリーを訪問する人にとっても楽しいランドマークとなるだろうと思ったのです。
そして思ったとおり、空豆オープン後、初めてこの辺りに来た人で、池と神社の森に近いロケーションを気に入るかたも多く、やはり外から見ても魅力的な場所なのだと思います。
建物の設計は、前の横浜の自宅(「保土ヶ谷の住宅2」2001年)の設計を依頼した建築士、佐藤光彦さんの設計事務所の担当者であり、竣工後も追加工事などでお付き合いの続いた中島明子さんに依頼しました。
住居といっしょにギャラリーをつくるにあたって、私たちは中島さんに、どのようにこのスペースを使いたいか、どういう展覧会やイベントをしたいかーーおもに現代美術のアーティストの展示のほか、少人数の研究会や研究発表の場として使うこと、具体的なアーティストの候補名、どのような方に来ていただくか、また来訪者がギャラリーまで足を運び中に入るまでにワクワク感がほしいことなど、一連の構想やイメージを書き下して伝えます。
さまざまな設計プランが出たあと、地階から2階までを住居、3階をギャラリースペースとして、ギャラリーへの来訪者は、私たちとは別の、中庭側にある出入口と外階段から出入りするという現在のプランができました。
出来上がってとくによかったと思うのは、2階の住居階の天井高を低く抑えて、ギャラリーの天井を最大限に高くとってもらったこと。それにより、ギャラリーは住居とは別の空間であるという区別が明確になりました。ギャラリーの床面積は40㎡でそれほど広くないのですが、天井高が3.5mあることで、中に入ったときに予想外に大きくひろびろして感じるようです。

空豆と名づけた理由
ギャラリーの名前は建設中からずっと考えてノートに書き連ねていたのですが、なかなかこれはというものが出てきませんでした。
2022年になり柿落としの展覧会の会期も決まったころ、ある日中庭から上の階のギャラリーを見上げたときに空が目に入り、なんとなく「空豆」と思いつきました。空を背景にした小さなスペース(=豆)と。
空豆は空に向かって鞘がつくのでそう名づけられたと聞きます。また、ひとつの言葉に「空」と「豆」という、大きいものと小さいもの、対照的な二文字が並んでいるのもおもしろいと思います。小さなスペースでも空に向かって大きく伸びるという願いも込めて。
さらに後付けの理由ですが、空豆はふっくらと厚みのある鞘に包まれて中に三つか四つ豆が入っています。この建物も、外側はキューブの形に囲い込まれ、中では住居階、ギャラリー階と分かれていて、その構造が似ていると思いました。

初めて展覧会を開催
さて、2018年の暮れに引っ越して住み始めたものの、すぐにギャラリーの活動には手をつけられず、ギャラリースペースは自分の持っている作品のうち10数点を壁に掛け、たまに時間を過ごす広いリビングルームという状態がしばらく続きました。
そうしたなか、2019年11月、中島明子さんの設計事務所と知人の建築士・杉山由香さんを中心とするグループがここで「おうちこんにちは会」というオープンハウス兼、建物誕生までのプロセスを紹介する展覧会を開催しました。それがこの建物のお披露目であり、ギャラリーを「空豆」と命名する以前の初めての公開展示となりました。

さて、先述したように、ここを「空豆」と名づけて初めて展覧会を企画・公開したのは2022年で、第1回は旧知の画家、泉イネさんによる「紺|泉|イネ 1/3回顧展」(5月1日―7月31日)でオープンしました。
以後、
―「菅木志雄-ハルキコレクションより」2023年9月2日~10月8日
―「井上 実」2024年5月18日~7月14日
―当房優子「tobo bag story」2024年10月19日~11月24日
とこれまで4本の展覧会を開催しています。
また、今年は秋に画家、荻野僚介さんの個展を開催予定です。
美術館の仕事を続けているため、いずれも会期中の土曜・日曜のみのオープンです。始めた当初はコロナ禍だったこともあり、人数調整のために予約制にしていましたが、4回目からは予約不要としました。
来訪者の総数は各回、120~200人ほどです。内訳は私や夫の知人・友人、アーティストの知人、美術関係者が大半で、これはある程度予想したとおりでしたが、関係の強弱にかかわらず、とにかく興味を持った人が遠くからも来たり反応を示してくれることがやはり嬉しいです。
すこし驚いたのが、初回から、私や作家とは面識のない、この近くにお住まいのかたが思いのほか多く訪れて、その後もリピーターになってくれたことです。大田区の文化広報誌「ARTbeeHIVE」の小さな記事を見て来た人、近所の人の紹介で来た人などさまざまで、潜在的な文化力の高い街であることを実感しています。


これまでの展示について触れると、初回の泉イネさんと4回目の当房優子さん(バッグ作家)は美術館でもいっしょに仕事をしたことがあるアーティストで、ギャラリーの設計時からここで展示をしたいと名前を挙げていました。ですので何年も頭の中でイメージしてきたことがついに実現した、大きな達成感がありました。


逆に、実際にギャラリーを始めてから話が出て決まったものもあり、2回目の「菅木志雄-ハルキコレクションより」では、洗足池で「ギャラリー古今」を主宰する佐藤春喜氏のコレクションから「もの派」の巨匠、菅木志雄の作品数点をお借りして展示することになりました。
このときのメイン作品《周界差》(1989年)は、佐藤氏が購入以来35年ぶりに公開展示となった、つよい存在感のある大作で、これが空豆にあるあいだ、なんでこんなに凄い、「ミュージアム・ピース」に相応しい作品が自分の家の階上にあるのだろうという驚きと不思議な気持ちで毎日眺めていました。


3回目の井上実さんの場合は、空豆を訪れてスペースを気に入り、ここで新作の大きな絵画をお披露目したいという希望を伝えてくれたことから始まりました。私もかねてから、大作1点だけを正面の大きな壁に掛けてじっくり向き合う展示ーーたとえば、規模は全然違いますが「ロスコ・ルーム」のようなーーをしたいと思っていたのです。
また、始動後、2021年の春にギャラリーの空間にひとつ手を加えました。
ギャラリーはL字に近い形なのですが、入口を入った手前のスペースと奥のメイン空間の境に仕切り壁を建て、入った瞬間には奥の展示風景は目に入らず、奥へ進んでから初めて視界が開けるようにしました。これによりメリハリが生まれ、手前味噌ながら、さらにかっこいいスペースになったと思います。

これまでを振り返って
準備期間を含め4年ほど活動してきて思うのは、仕事の内容としては、美術館でする仕事とほとんど同じことをしている、つまり、アーティストと打ち合わせて展示の構成を決め、作品リストやキャプションをつくり、リリースやDM用の文章を書き、会場撮影をし、作品を展示して撤去する。それを規模を小さくしてやっている、ということです。(「縮小再生産」と呼んでいます)。
ただし、美術館や商業ギャラリーと違うのは、余裕を持って展示・撤去ができること。その展覧会の前後にほかの予定が入っていないのでいつでも使え、会期のひと月前に展示や撮影を済ませることもできます。これは自宅内ギャラリーだからこそできる気楽な点だと言えます。
一方で美術館と大きく異なるのは、企画によっては作品販売の要素があることでしょう。
私自身、気に入った作品をときどき購入しているプチコレクターなので、ギャラリーで作品を買う楽しさを経験してきました。
ギャラリーを始めて今度は販売側に立つことになりましたが、展示を見にきた人が作品に引き寄せられてその場で購入を決めることもあり、そうするとやはり一気にテンションが上がります。
空豆で展覧会を開く第一の目的は、素晴らしいアーティストの作品をできるだけいい環境の中でゆっくりと集中して見てもらい、その経験や記憶を持ち帰ってもらうことです。
同時に、そのアーティストのキャリアにしっかり刻まれ、将来を開く展示になってほしいとも思っています。その意味で作品が売れ、アーティストに収益があることもひじょうに重要です。
販売に関するスキルはまだ未熟ですが、今後、勉強して経験を積んでいきたいと思っています。

「先輩」たち
自宅にギャラリーをつくって以降、同様のスペース(と言ってもそれぞれ成り立ちが違うので一括りにはできません)をとても身近に感じるようになりました。
いちばん近くにあるのは先述した佐藤春喜氏が院長を務める洗足池医院に併設した「ギャラリー古今」で、古美術と現代美術の企画展示をしておられます[1]。
雪が谷大塚には歯科医の小島靜二氏が自宅内に開設している「小島びじゅつ室」があり、質の高い現代美術の展示を不定期で開催しています。
また、今はもうないのですが、かつて久が原に大岩紀子氏(故人)が自宅を改造して運営していた「ガレリア・キマイラ」があり、20年以上に及ぶ活動は現代美術の歴史に重要な足跡を残しています。空豆をオープンして以来、たびたびガレリア・キマイラを思い出します。
さらに、自由が丘には黒田悠子さんが運営する「gallery21yo-j」があり、銀座から移って以降20年近く旺盛な活動を続けていらっしゃいます[2]。ご自宅隣のこのスペースは、彫刻家だった父上のアトリエのあった場所に建て直したと聞きます。
余談で、空豆のオープン時、私は60歳になる直前だったのですが、そのとき黒田さんがちょうど20歳年上だということを知りました。驚くと同時に、私も頑張ればあと20年、80歳までこのくらいパワフルにやっていけるかもしれないと励まされた気がしました。
空豆
〒145-0063 東京都大田区南千束3-24-1
Profile: 坂元暁美(さかもと・あけみ)
上野の森美術館学芸課長。女子美術大学非常勤講師。
彫刻の森美術館学芸員を経て、1997年より上野の森美術館勤務。
2022年から、自宅内に開設したギャラリー「空豆」で展覧会を企画・開催。