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【連載】まだ「音楽」と呼ばれる前夜②

コトノハ

 1993〜94年頃、渋谷の電力館近くのマンションの小さな一室にパリペキンレコードがあった。本当に小さなこのレコードショップに足を踏み入れたのは、その頃、J-WAVEでモーリー・ロバートソンがMCを務めた「ACROSS THE VIEW」という番組内企画で、リスナーが手持ちのシンセを鳴らすことで対決する「シンセバトル」というコーナーがあり、そこで紹介されていたのを聴いたからだった。アメリカではLSD研究のティモシー・リアリーが脚光を浴びていた時代だった。

 その頃、シンセサイザーという電子楽器は日本では冨田勲やゴダイゴ、Y.M.O.の功績もあり、まだまだ(いまもなお)煌めいていた。

 「シンセバトル」に毎回登場していた面々が繰り出す音は、ほとんどが一般的な「音楽」として成立していなかった(普通の人が聴いたら、ただの雑音にしか聴こえないだろうと思う)。ここでは、いかに対戦相手よりも奇妙な音を出せるかが勝敗の決め手だったからだ。ユタカワサキという後に知り合うことになる少年がアナログシンセで繰り出すサウンドを耳にしているうち、なんだか自分たちのやっている音楽と似ているなと思い、所属していた5人組のバンドのメンバーとともに、パリペキンレコードを訪ねていった。

 レジには突然訪れたわれわれを警戒してか、とてもガードの硬そうな男性がいて、何だか忘れたが何かを聞くと、それに反論するようにちょっと厳しい口調で受け応えをしていたのが、その後、音響関係のCDをリリースするレーベル運営も行うことになる虹釜太郎さんだった。

 独特な雰囲気が充溢した店内で、しばらく見慣れないレコードを物色したのち、今度来る時には、自分たちのカセットテープを売ってもらおうと、帰りに音楽を一緒にやっていたメンバーたちと話した。メジャーには絶対にならないけれど、奇妙で面白い音楽をこんなに集めて販売している店を他に知らなかったし、ここならば自分たちの音楽を聴いてくれる人がいるに違いないと思ったからだった。

 「シンセバトル」を聴いたのがきっかけで、自分もシンセが欲しくなり都内の楽器店を巡回するようになった。坂本龍一が表紙のキーボードマガジンを買い、誌面に掲載されているシンセのスペックや特徴を念入りに見ていく。渋谷の道玄坂にあった中古アナログシンセの店も見に行った。店頭に並んだプロフィット5の音を出した時、その分厚い電子音がまるで全身を貫くようで感激した。いろいろ悩んだ挙句、池袋の楽器店でアメリカのデジタルシンセ、Ensoniq(エンソニック)の「TS10」を買うことに決めた。決め手は鍵盤を押した時の感触と、分厚いプリセット音源、そしてシーケンサーもついていたことだった。これならこの1台で曲を完成させることができる。そう思ったのだった。価格は25万円。学生だった自分にはかなりの金額だった。しかしこれは今の自分にどうしても必要なんだ、と相当な覚悟で購入を決めた。

 TS10には色気のない分厚い説明書がついていて、シンセサイザーの音作りについて細々と説明が書いてあった。これをいつも鞄に入れ持ち歩き、とにかく隅々まで読んでいった。 ひとつの音を分析すると、アタック、ヴェロシティー、サステイン、デケード(一般的には「リリース」)という4つの要素から成り立っていることが理解できた。デジタルシンセサイザーだから、音をそれぞれのパラメーターごとに数値化し、それぞれを調整しながら音を作っていく。…

(つづく)

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「まだ「音楽」と呼ばれる前夜③」

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