【連載】まだ「音楽」と呼ばれる前夜④
コトノハ
近所の公園でスケボーをしている人間や、駒沢公園でトランペットの野外練習をしていた人間などが自然発生的に集まってできたこのバンドは”Computer Soup”という名前にした。ある時、トランペット担当のHくんが、当初、僕たちはアナログ楽器しか使っていなかったが、あえて「コンピュータ」という単語を使うことで、実際のバンドの音楽とのギャップが出て面白いんじゃないか、と提案し、即皆に受け入れられて名前が決まった。
「スープ」という単語も、当時は食べるスープのことを思い浮かべ、面白いと思ったが、いわゆる「ごった煮」という意味もあり、のちにアメリカでcomputer soupという会社もできたのをインターネットで検索して知り、ネイティブに近い言葉選びのセンスがあったのかも、と思った。トランペット担当のHくんは、ネーミング・センスがよかった。その時のメンバーの中で唯一の社会人であり、昼は丸の内に勤めるサラリーマンだった。
そうしてある日の渋谷での路上演奏を録音したカセットを、パリペキン・レコードに持っていくと、店主の虹釜さんが気に入ってくれて、販売がはじまった。その後、何度か僕らの路上演奏を見に来てくれたようだった。
1週間後、店に行くと、5本持っていったテープがすべて売り切れていた。虹釜さんはフレンドリーに接してくれるようになり、僕らもしばしば足を運ぶようになった。
路上演奏をはじめた頃、いままで通行人だった自分が、路上の側に座り込み、人前で演奏をするということに抵抗があった。とにかく、恥ずかしいし、度胸がいる。しかし、一旦、音を出してしまえば、次第に音楽に夢中になり、道ゆく人たちの反応を見ながら楽しめるようになる。路上演奏をしていたのが、1994年頃だったが、普通のバンドとは違う音楽を演奏する僕らに、お金を置いていってくれる人たちがいるんだ、ということを知って、街ゆく人たちの中にも、心の余裕がある人たちがいることを知り、東京もまだまだ捨てたもんじゃないと思った。
【バックナンバーを読む】
リンク>「まだ「音楽」と呼ばれる前夜③」