cotonoha inc. 池の近くの本を作る会社。 コトノハ株式会社

【連載】まだ『音楽』と呼ばれる前夜⑨

針谷周作(コトノハ/コンピュータ・スープ)

雑誌『salon』は、いろいろな人たちの協力で成り立っていた。誌面に原稿を寄せてくれた人たち、付属のCDに音源を寄せてくれた人たち。しかも皆無償で引き受けてくれた。印刷代を支払うのが精一杯で、協力してくれた方への謝礼が払えなった。時代的にもまだゆとりがあったのかもしれない。新しい雑誌を立ち上げるという挑戦に、快く応援してくれる人たちもいたのだろう。いまから思い返しても感謝しかない。

無事に出版された『salon』は、主に全国のレコードショップで流通された。発売日が過ぎて、渋谷のタワーレコードのNEW AGEコーナーへ行くと、ちゃんと視聴機に『salon』が入っていた。松永さんのおかげだ。記憶は朧げだが、大阪のタワーレコードやHMVでも、大々的に平台で展開してくれていた。発行部数は2000部ほどだったが、じわじわと売れていった。出版して印刷代を払ってから金が底を尽きたが、気分はよかった。

『salon』を校了した日、デザイナーのSくんと一緒に新宿で映画「マトリックス」を見たのを覚えている。頭がぐらぐらと揺さぶれられる内容で、徹夜明けだったため、1回目は寝て、2回目でじっくり貪るように見た。「青いピルと赤いピル、どっちを選ぶ?」。眠たさの中で、ぼくは赤いピルを選んだような気がしていた。デザイナーのSくんは映画館を出るまでシートでぐっすりと寝ていた。約一年ほど付き合ってくれたSくんには感謝しかないが、いまでもSくんとの関係は続いている。

世界が終わると予言された1999年を2ヶ月ほど過ぎた2000年2月頃のことだった。

それから出版記念にイベントをやろうと、当時、恵比寿にあったライブハウス「ミルク」に企画を持っていった。イベントには、付属のCDに参加してくれたポトラッチさん、露骨キットさん、故・中里丈人さんやWoodmanらがライブで参加してくれることになり、さらに佐々木敦さんやOui distributionの山崎さんらを呼んでのトークも盛り込んだ。その企画をミルクの塩井さんのところへ持っていくと、やりましょう、と快諾してくれた。イベントのチラシを早速作成し、タワーレコードなどで置かせてもらった。また、誌面に原稿を寄せてくれた小沢剛さんが、先日亡くなった大木裕之さんとともにワンワンショウショウというパフォーマンスユニットをこのイベントのために結成し出演してくれたのが印象に残っている。

イベント当日、100名近い来場者に恵まれ、イベントは一応の成功を収めた。

それからコンピュータ・スープとしてのライブの依頼も増え、都内や京都などでライブを展開していったが、そろそろ2号目を作りたいなと思っていた。メンバーに相談すると、いろいろとアイデアが出て、じゃあ一緒に作ろうかという話になった。次号は、紙媒体ではなく、VHSカセットのビデオマガジンとしてリリースするのがいいんじゃないかというアイデアが出た。そもそも僕は人の話を聞くことにとても興味を持っていた。普段は雑誌でしか読むことのできない人物の話を実際に対面し、直接質問をして聞いてみたいという強い思いがあった。創刊号のサブタイトルはrealistic evidence、そうリアルな言葉が聞きたかったのだ。だったら、そのリアルな声を届けるのに映像は適していると思った。話している時の表情やしぐさも収めることができる。次号は映像にすると決め、さっそく新宿東口のカメラのさくらやに行って、キヤノン製のビデオカメラを購入した。

【バックナンバーを読む】

リンク>「まだ「音楽」と呼ばれる前夜①」

リンク>「まだ「音楽」と呼ばれる前夜②」

リンク>「まだ「音楽」と呼ばれる前夜③」

リンク>「まだ『音楽』と呼ばれる前夜⑤」

リンク>「まだ『音楽』と呼ばれる前夜⑥」

リンク>「まだ『音楽』と呼ばれる前夜⑦」

リンク>「まだ『音楽』と呼ばれる前夜⑧」

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